基本情報
水系 | 荒川水系 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 34.6km |
流域面積 | 411k㎡ |
細かく屈曲した川が、川越と江戸の間を走る。
新河岸川(しんがしがわ)は、埼玉県の川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、和光市を通り、東京都へ入り隅田川に合流する一級河川です。
この新河岸川へは、主要4支川(不老川、柳瀬川・砂川堀、黒目川、白子川)が流れ込み、江戸時代〜大正時代には「九十九曲がり」と呼ばれるほど流路が細かく蛇行していた歴史を持ちます。
実はこの「九十九曲がり」は、自然にできあがったものではありません。江戸時代に松平信綱がこうした屈曲の多い川への造成を指示。川の流れを滞らせることでゆっくりとした流れで水量を保ち、船の通行に適した環境に整備する意図がありました。
これは大火で燃えてしまった川越を復興させるため。小刻みに河岸(=荷物や人の運送の便のため作られた川船用の着岸場)をたくさんつくり、江戸との物や人の往来を活発化させました。新河岸川という名前も、こうして新しく作られた河岸場に由来するとされています。
つまりこの新河岸川は、「舟運」と切っても切り離せないほど強く関係を持つ川なのです。
船着き場はまちを活気づける玄関口に。
数多くつくられた河岸の中でも、上流側の川越エリアに設置された扇・上新・牛子・下新・寺尾の5つの河岸場は「川越五河岸」と呼ばれ、川越の外港として機能しました。
そして現在、舟運が栄えた時代を知ることのできる建築物が残されています。それが、ふじみ野市にある「福岡河岸記念館」です。
「福岡河岸」は江戸時代後半から明治時代中期にかけて栄えた河岸で、ここには吉野屋・江戸屋・福田屋の3軒の船問屋がありました。この記念館は、そのうちの福田屋の建物で、船で荷物を運ぶ業務のほか、農家に肥料を売って代価として受け取った農産物を江戸へ運ぶ仲買商も兼ねていました。
このように川越方面からは、米やサツマイモなどの農作物、材木類、そうめんといった品が出荷され、反対に江戸からは調度品や小間物、砂糖や酒といった加工品が多く運ばれたのです。すると各河岸周辺のまちは栄え、にぎわいを見せるようになりました。(ちなみに、特に川越特産のイモやそうめんなどは江戸で人気があったんだとか)
鉄道や車が発達した今の、舟の役目。
明治時代以降、鉄道が開通したことにより、新河岸川の舟運文化は衰退の一途をたどります。また、九十九曲がりという蛇行流路が仇となり洪水が起きやすくなっていたことから、河川改修を実施。これにより舟の運航に支障が出るようになってしまったことも衰退の要因とされます。
こうして江戸時代から昭和初期にかけてさまざまな品や人の往来があった川越は、その文化をたくさん吸収しながら埼玉一の商業都市として発展。今も「小江戸川越」としてその街並みを残しています。
春には、舟運で栄えた時代を感じられるイベント「小江戸川越春の舟遊」を毎年開催(新型コロナの影響で2020〜2021年は中止)。和舟に乗って、川面から桜のトンネルを通る春らしさ満開の体験ができるんですよ。舞い散った桜の花びらが川の水面に浮き、「花筏」として一面をピンクに染め上げる絶景もこの時期に楽しめます。
また川越市より下流の志木市でも、「いろはの渡し」と呼ばれる和舟に乗れるイベントを期間限定で開催。市民ボランティアの船頭が、約30分かけて新河岸川をゆっくりと周遊します。
こうして人々の生活を彩り豊かに輝かせた舟たちは、今を生きる人々に当時の視点と景色、そして文化を伝え続けています。