水系利根川水系
種別一級河川
延長11.52km
流域面積23.74㎢
※星川が源流部にあたる忍川に関する基本情報
※星川が源流部にあたる忍川の河川マップ

街の真ん中で、人々の暮らしを支えてきた川。

熊谷市の中心市街地を流れる「星川」。その河道は、同市内にある市指定文化財名勝「星溪園」を起点として、行田市を通り、鴻巣市で元荒川に合流します。河川図の区分上は一級河川「忍川」ですが、源流部にあたる熊谷市では「星川」と呼ばれ古くから親しまれてきました。

※熊谷市市街地北部にも星川と呼ばれる川がありますが、今回紹介するものとは別の河川です。

写真提供:(一社)熊谷市観光協会

星川の起源は1623年まで遡るとされます。荒川の洪水によって、現在の星溪園の西方にあった土手が決壊し池ができ、そこから湧き出る水が川の源となりました。水はとても澄んでおり、子どもたちが水浴びをしたり、職人が染物を洗ったりと地域の暮らしに深く根づいていたようです。一説によると、この豊かな水環境は、熊谷市の伝統的な地場産業である「熊谷染」の発展を支えていたのだとか。

池の湧き水は昭和30年代(1955~1965年)には枯れてしまいましたが、現在は、荒川から農業用水を取水することで川の流れが保たれています。

復興の記憶が刻まれた、熊谷のシンボルロード。

写真提供:熊谷市立江南文化財センター

星川沿いはきれいに整備され、市街地の景観を彩っています。実は、この姿は戦後の復興とともにつくられてきたもの。この通りを語る上で、戦争の歴史は切り離せません。

1945年8月14日深夜、太平洋戦争最後の空襲に見舞われた熊谷。市街地の大半が焼失し、多くの市民が命を落としました。その被害の大きさから、埼玉県内で唯一の戦災都市に指定されたのです。

終戦後は区画整理事業などにより街の復興が進み、1953年には星川も整備されることに。家々の間を縫うように曲がりくねっていた川は真っ直ぐになり、両岸には街路樹が植えられ、現在の星川通りの基礎がつくられました。

写真提供:熊谷市商業観光課

そして、1975年からは「熊谷の玄関としてふさわしい顔づくり、文化の香り漂う市民のオアシス」を目指し、数年かけて7つの広場と6つの彫刻像を設置。当時の星川通りは「水と緑と彫刻のプロムナード」として親しまれ、その景観は第1回さいたま景観賞を受賞しました。現在は「星川シンボルロード」として再整備され、名実ともに熊谷の顔となっています。

人を集め、人と地域をつなぐ拠点に。

写真提供:熊谷市商業観光課

空襲の犠牲者を追悼する「とうろう流し」、商売繁盛を願う「熊谷えびす大商業祭」、新春の名物である「だるま市」など、星川ではさまざまな伝統行事が今も続いています。

写真提供:星川夜市実行委員会

さらに、星川周辺を盛り上げるための新たな取り組みも始まりました。熊谷市が2018年度に採択した「NEXT商店街プロジェクト」をきっかけに、星川通り沿いには酒屋をリノベーションした「シェアカフェ」や毛糸店を改修した「棚貸し書店」がオープン。毎月第2土曜の夜には飲食やクラフト雑貨、活動PRなどのブースが市内外から30~50店舗分も集まる「夜市」が開催されています。

2024年度には同市が「星川未来ビジョン」を発足し、星川を中心としたまちづくりの輪を広げようと準備中。特別な行事だけではなく、普段の暮らしの延長で水辺に親しむことができる。そんな星川の魅力を生かしながら、人と人、人と街をつないでいこうとしているのです。

これからも街といっしょに変わっていく。

地場産業の発展や戦後の復興、まちづくりへの挑戦といった街の歩みを、少しずつ姿を変えながら支えてきた星川。人々の暮らしのそばにあるからこそ、「街の今」が色濃く反映され、歴史が深く息づく場所になっているのでしょう。そんな星川が、これからどんな変化を重ねていくのか楽しみですね。

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