いつも住民のそばにいる、綾瀬川のあゆみ。
江戸時代までは、元荒川(当時の荒川)派川であった綾瀬川。激しく流路を変動させながら周辺の地域に洪水被害をもたらしていたことから「あやしの川」と呼ばれ、これが今の名に転じたとされています。
現在は、埼玉県桶川市小針領家に源を発し、県内のさいたま市、越谷市、草加市などを南流しながら東京都葛飾区で中川と合流し海へ注ぐ、という流路を描いています。首都圏のベッドタウンを貫流する代表的な川の一つと言えますね。
そんな県民に身近な存在である綾瀬川ですが、実は過去に水質ワースト5(全国の一級河川中)に連続でランクインするほど、汚れた川とされていました……。
綾瀬川の過去と、大幅に水質が改善された現在の状況を探っていきたいと思います。
ワースト5入り常連…水質が低下した過去の実情。
天正18年(1590年)に徳川家康が江戸へ入府して以来、利根川水系全体の洪水課題を解決するための堤防工事が実施されました。綾瀬川も、当時の関東郡代であった伊奈備前守忠次によって、幅4m、高さ3m、長さ600mの堤防「備前堤」が築かれ、綾瀬川の流れは元荒川から分断。これ以降、農業用水を主な水源としながら流域一帯に広がる穀倉地帯を支えていました。
しかし、農閑期になると田んぼからの落とし水が減り、冬は生活排水が主な水源となっていました。さらに、時の流れとともに農地が減り住宅が増えたことによって、生活排水が増加。高度経済成長期を迎え、多くの工場廃水もこの川を流れていきました。綾瀬川は勾配が緩いため海の干満の影響を受けやすく、水が滞留しやすいという地形の特徴があります。こうした要因も相まって、次第に水質が悪化してしまったのです。
流れを変えた、市民団体の愛ある活動。
こうした綾瀬川の自然を守りたいとの想い、そして子どもたちが想像以上に綾瀬川のことを心配しているとの気づきから、1996年に地域住民による有志団体「綾瀬川を愛する会」が発足。川口市を拠点に、綾瀬川および河川敷の自然を守る活動が継続的に実施されるようになりました。
初代代表を務め、今も精力的に活動をおこなう幾島さんは、過去の綾瀬川の様子をこう語ります。
「1964年頃に富山県出身の私が子どもたちと一緒に川口市に引っ越してきたときは、虫たちが元気に鳴くキレイな川でした。でもみるみるうちに汚れて、大量のゴミが塊となって流れてくるようになってしまったんです。『川口の土手は見るな』が合言葉のように唱えられ、綾瀬川沿いの住宅は川に背を向けるように建設されました」
まるで船のように川を下る姿から、“ゴミいかだ”と呼ばれた廃棄物たち。タイヤなど大型のものが多く、県と協力しトラックで運ばなければならないゴミばかりが集まったと言います。
「高度経済成長期は、オートバイ、ソファ、ベッドなど、あらゆるゴミが絨毯のようにビッシリと埋め尽くされていました。40年ほど前は、故郷から出てきた母がカエルの大合唱で寝られないと嘆くほど、生き物がたくさん住む川だったのに」と、現代表の森中さん。工場から流れ出たヘドロが川を流れていく様子も見受けられたそう。
30〜70代の幅広い年齢層のメンバーが集い、退職後の世代がコアで活動する同団体。発足以来、毎月の定期的な清掃活動や会員の会議、年1回の埼玉県や川口市と連携して開催する「クリーン大作戦」など、地道な活動を継続してきました。
「水を吸ったゴミはとっても重いんです。だから土手まで引き上げるのすらひと苦労。ゴミの収集方法など、県や市に協力していただきながら続けてきました」と幾島さん。
こうした長年にわたる努力が実を結び、今では水の中にも土手にもほとんどゴミは見られなくなりました。
「綾瀬川沿いの『綾瀬の森』では、珍しい植物や虫に出会えるようになりました。この土手は、コンクリートを敷かずに質の良い土を入れ、木々を残してもらえるよう、県や市と交渉を重ねてやっと実現することができた場所です。裸足で歩くことで身体に溜まった電気を放出する地中に流し体内電気のバランスを保つ『素足遊歩道(すあしゆうほどう):アーシング®ロード』としてしっかり守りながら引き継いでいきたいです」と森中さん。
綾瀬川には、行政や町の自治会、NPO法人の方々が、協力し合いながら自然を守り抜いてきたという歴史がありました。
数字にも表れた、綾瀬川への想いと活動の成果。
こうした地域住民と各自治体の地道な活動のほか、下水道整備などによって今では水質が大きく改善されています。
水質状況を表すBOD(生物化学的酸素要求量)の数値は、最も数値が悪い状態にあった1971年を「100」としたとき、2019年は「2.5」と劇的な変化を遂げました。全国でもトップの水質改善率を誇り、以前より川は断然キレイだと言える状況になってきています。
「今、こうしてキレイな川が戻ってきて、緑も増えてきました。ひとえに、たくさんの人に力をいただいたおかげ。しあわせですね。綾瀬川は私たちにとって“心のふるさと”。キレイな川や土手、周りの自然の様子を見た子どもたちが『またここに来よう!そして自分たちもこうした自然豊かな場所をつくろう!』と思ってくれる日を夢見ながら、行政とも協力して今後も活動を続けていきます」と語る幾島さん、森中さん。
たとえ少しずつであったとしても、地域住民の地道な活動と川を愛する気持ちがあれば、豊かな自然が守られていくはず。これからも綾瀬川を大切に見守っていきたいものです。