木篇(へん)に楽と書いて「櫟」(くぬぎ)。クヌギを「苦抜き」ともじった、縁起の良い「苦を抜く櫟箸」があると聞き、荒川の上流・秩父を訪れました。埼玉県秩父郡小鹿野町にある秩父巡礼32番札所、般若山法性寺です。廃校になった町立中学校を活用したIT交流施設「長若集学校」前の通りを西へ向かい、橋を渡って右に折れ、般若川に沿ってしばらく走ると法性寺の鐘楼門が見えてきました。
残念なことに、鐘楼門は改修工事中(2024年1月)でした。その脇を抜けて苔むした石段を上がると、本堂です。本堂前には売店のような建物が。「支払いは向いの(→)納経所でお願いします」。御朱印帳や納経帳のほかにも、法性寺の名前が入ったオリジナルのトートバッグやTシャツ、チャーム、ドリップコーヒーまで並んでいます。観音様「南無ちゃん」の愛らしいイラスト付きで、どれもこれもかわいいです。
笠をかぶって舟を漕ぐお姿の観音様
法性寺は「お船の観音様」と呼ばれ親しまれています。祭られているご本尊は、聖観世音菩薩。宝冠の上に笠をかぶり、櫂を手に舟を漕ぐ珍しいお姿をしていると聞きました。
本堂のさらに奥、切り立った崖に続く石段を上ると、中腹に観音堂が建っています。祭られている縁起図にこうありました。「或る時賽が渕に飛び入りし一人の美女を舟に乗せ助けしは天冠の上に笠をかぶりし御本尊なり」。
歌川広重(二代)、歌川国貞作の錦絵『観音霊験記 秩父巡礼三拾二番般若石松山法性寺 豊島権守の娘』には、その逸話が詳細に記されています。
――豊島郡の住人、豊島権守の娘がこの地に嫁いできた。里帰りの途中、犀ヶ渕(さいがふち)に差し掛かると悪魚に見込まれ溺れてしまう。すると、どこからか美しい女性が舟に乗って近づいてきて、娘を助けた。いずれの者かと尋ねると、女性は「吾は石船山の者なり 姫が父をはじめ 主従よく観音を信ずるがゆへ危難を助けたり」と言って消えてしまった。それを知った父・権守は涙を流して感謝し、寺の観音様を供養して深く帰依した。「今も本尊は天冠のうへに 笠を着て舟に棹さし給ふ尊像なり」。
ご本尊は、法性寺の開創者でもある行基の作とか。観音堂にまつられた額に、そのお姿を見ることができます。「願はくは 般若の舟にのりを得ん いかなる罪も 浮かぶとぞ聞く」という御詠歌が添えられています。観音堂は3間(約5.45メートル)四方の懸崖(けんがい)造りで、宝永4(1707)年の建立です。
古事記にも登場する箸 川を下って会いに行く
さて、売店の棚の中央に堂々と並ぶ「苦を抜く櫟箸」。値段に添えて「浅見さんが作った」と唐突に書かれています。浅見さんって誰でしょう。聞けば、埼玉県秩父市内に唯一残るはし専門の製造所とか。
箸といえば、ヤマタノオロチ伝説が思い出されます。高天原を追放され天降ったスサノオノミコトが川を流れてきた箸を見つける、という古事記の神話。日本で箸が使われ始めた時期については諸説あって定かでないものの、どうやら弥生時代のようです。神様に食べ物を供えるために使われていたといいます。
苦を抜き去り楽になれる、という縁起の箸。ヤマタノオロチ伝説にならい、般若川を下って長留川から赤平川へ。さらに荒川へ出て、製造元の「浅見さん」を訪ねることにしました。次回は、箸の話題です。
後編はコチラからご覧ください!
【般若山法性寺】
埼玉県秩父郡小鹿野町般若2661
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