埼玉県の南西部に位置する志木市。面積は9.05㎢、東西に4.7kmと、全国6番目の小さな市で、東京都心まで約20分というアクセスの良さから、住宅都市・商業都市として発展してきています。
そんな志木市に昔から伝わるのが「カッパ伝説」。志木市広報大使を務めるキャラクター「カパル」や、市内には多くのカッパの石像が点在するなど、その伝説は今もなお語り継がれています。
そこでリバサポでは「志木市のカッパ伝説」を調査。前編では、志木市と川の深い関わりや、カッパ伝説のゆかりなどを紹介します。
江戸と川越をつなぐ重要拠点
まずは、志木市と川との深い関わりについて。市内には新河岸川、柳瀬川、荒川の3本の川が流れ、今も自然や田園風景が数多く残っています。
また江戸時代には、新河岸川と柳瀬川の合流地点に「引又河岸(ひきまたかし)」という河岸場が設けられ、江戸と川越をつなぐ重要な物流の拠点として栄えた歴史もあります。
志木市民の憩いの場である「いろは親水公園」には、当時の様子を伝える看板が残っています。そこには、「九十九曲がりと言われるほど蛇行していた新河岸川は、豊かな水量を常に保つことができたため、江戸時代から明治時代にかけて、舟運に利用され、交通の大動脈として重要な役割を果たした」とあります。
当時の「引又河岸」は、広大な取引地域を持っていて、所沢・立川・八王子・青梅など、遠くは甲府まで荷主が分布していたとのこと。これは、奥州街道などの街道が集中する交通の拠点であり、江戸初期から、六斎市(月に6回行われる定期市)が立てられたことが要因のひとつだと記されています。
こうした舟運も、鉄道の普及や河川改修により、昭和の初めごろから衰退。しかし当時の経済活動を支えた重要な事業のひとつでした。
柳田國男も伝えた志木市の「カッパ伝説」
志木市のホームページには、宝幢寺(ほうどうじ)に伝承されている「カッパ伝説」の一部が掲載されています。
「ある時、宝幢寺のお地蔵さんは、風雨の中からかすかに聞えてくる馬の鳴声を頼りに柳瀬川のふちに来てみると、一頭の馬が目前の流れにおびえたように四つ脚をふんばって鳴いていた。
お地蔵さんは、馬がてっきり泥にはまったものと思って近寄ると、葦(あし)の茂みに人間なら5、6歳くらいのカッパがおり、馬を川に引き込もうとしていた。
お地蔵さまから厳しく諫(いさ)められた末に、改心することを約束してカッパは許されたのであるが、その後、宝幢寺の台所の流し台にはだれが届けるのか時々、川からとりたての鯉(こい)や鮒(ふな)などが朝早く置いてあった。
寺の人達は不思議なことだと話していたが、そのうちだれいうとなく、改心したカッパがお礼に届けるのだというようになった」
このお話は江戸時代の書物「寓意草(ぐういそう)」に収録されています。そして民俗学の第一人者として知られる柳田國男の「山島民譚集(さんとうみんたんしゅう)」にて、「和尚の慈悲」という話題で紹介されたことで、全国的に知られるようになったそうです。
詳細は志木市ホームページに、「宝幢寺の地蔵さんとカッパの話」(https://www.city.shiki.lg.jp/site/hisyo/2667.html)にも掲載されているほか、カッパにまつわる様々な伝承がありますので、ぜひご覧ください。
後編では、市内各地に点在するカッパの石像に関する制作秘話などに迫ります。
後編はコチラからご覧ください!
■参考資料
・志木市ホームページ:志木ってどこ?
(https://www.city.shiki.lg.jp/site/hisyo/2149.html)
・志木市ホームページ:宝幢寺の地蔵さんとカッパの話
(https://www.city.shiki.lg.jp/site/hisyo/2667.html)
・志木市ホームページ:お地蔵さんとカッパ
(https://www.city.shiki.lg.jp/soshiki/46/2545.html)